英語/世界の教育/CLIL · 26日 1月 2020
この本、結構な時間かかって読み終えた。とてもライトな書き方なんだが、一行一行結構ヘヴィなので、え?これが起こった2016年の、あれは、、とか思い起こしたり、たった半年とはいえ、ヨーロッパをウロウロしてた時期に、2018から2019年に、このエッセイが書かれてるので、自分がロンドンのグローブ劇場で、すごい多様性とインクルーシブを超越したシェークスピア現代劇見て、概念覆されて、びっくりした事とか、イギリス人の目からみたBrexitの話聞いたこととか、Kayoko先生の学校で見聞きして学んだこととか、イギリスの校長先生の選ばれ方の私の衝撃とか、寒い日にクィーンの映画を封切りで見た日が、登場人物と一緒だったりとか、イエローベスト(黄色いベスト)のデモに出くわした、パリのスト(-暴動に見えなくもなかった)だとか、この作者の出くわす街や世の中のことが現代進行形なもんだから、オーバーラップする。分かるUKのニュースの切片を付き合わせて、考えたりすると、なかなか時間がかかった。 英国に対して、おそらく一般には豊かな国と思いこむ、ステレオタイプのイメージから見れば、すべてが、俄かに信じがたく、え?これ2018年だよね?ともう一回読むことも多々。 Swedenの生徒から始まった環境スクールストライキの波がイギリスにも来て、悲しくも、学校がランキングされてしまった英国では、上位校は若者がデモに参加したが、底辺校は参加禁止になりがちだったとか。その度に、主人公は自己のアイデンティティに思いがいく。 英国の学校選択制は、私はもっとグローバルスタンダードにおいて、子どもの権利を奪っていることが批判されても仕方がないと思っている。しかし英国はEUにおいてずっと孤高だし、誰も豊かそうな英国を話題にしてる余裕なんか無かったから話題にならない。ランキング上位にあるはずの私立では、ランキングを保つがために教室の前方の生徒に目が行きはっぱかけ、学力押し上げにやっきとなる。後方の生徒の教育は放棄になる傾向、これは、私もコッツオルズの学校を3つ見学したとき、お金があり立派な校舎の学校にありがちな風景で、思いあたる。公立の方にまだそうではない先生がいた。教師はもはや生徒を見ようとしながら、実生徒の争点と外部評価のために、授業する状況に陥っていることが、私には良く見えた。この本でも、実際の学校の活気や皆が何か面白いことやろうの雰囲気もない。教師は評価に気をとられそればかりになる。どこかの方に読んでいただきたい箇所だ。 随分と人ごとでない、作者の言葉を借りれば、エンパシーを働かせて読むはめになるので、ページは進まぬことも、多々。 こうでなければいけない=アンクールだ 鋳型にハマった考え方を表出(存在とは別)するなんて、過去のオッさん的である、だから全然カッコよくない。といったくだりは、胸のすくような箇所だったり。多様だからこそ、考える思春期の若者。地球の未来は多様な彼らの手中にある。学校でのシチズンシップ エデュケーションは、随分浸透していて、そこは興味ぶかい。 演劇の話や、マージナルなラップなんかも出て、snsありきの現代のスクールで新しいイジメの生まれる所以やら。 主人公の思春期の息子がこんなに語るわけでもないだろうから、作者の見聞きと、多様を分析する目が、このエッセイなんだろう。 こんな目で、生徒の目で、日本の学校がエッセイになる日があるといい。 現代に生きる日本の生徒らを 浅はかに鋳型にはめてる場合じゃないぞ。 おりしも、明日は同僚たちと院生らが数人、大阪の先生らと、イギリス ロンドンの学校改革調査 訪問から帰国する。メールでは、90%は多様な文化、民族のミックスのなか、多様な方が貧困の状況がある方が、学校改革に良いスピードがかかり、モノカルチャー ホワイトだけだと課題を感じず、考えない傾向があり、寧ろ大変そうだという感想もあった。teaを飲みながら話を聞くのを楽しみにしているところだ。