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新しい命の誕生に

初孫誕生で、会いに来ました@東京下町。
あれ、晩御飯食べてなかったと、クリニックのそばの食堂です。娘もその娘も、無事を見届けて、ほっとしています。ママ、じゃない、マ"マ"は一人で乾杯。良かったーかろうじて他の行事と重ならず。

娘婿さんがしっかり者の上、会社が育休出してくれるらしく、さらに三連休二回あるので、彼氏にお任せです。なので、私がすることはそれ程無いのですけど。ただただ会いたいから来たようなものです。愛おしいです💕
やはり出産とは何があるかわからない一大偉業だとつくづく感じました。健康には自信がある娘も、絶食やら何やらで、さすがに出産は疲れ果てておりました。お母さん、今日は元気ちゃうから会いに来なくて良いと言う。どうも出産のあとはすぐ元気になると思いこんでたらしい。いえいえ、全エネルギー使うから、元気じゃなくて良いんだよ。お蔵入りしてた育児日記を届けて、頑張ってなー、っと、面会時間があっと言う間に終わりました。

仕事から離れるわけにもいかず、スーツケースに原稿いくつも入れておりますが。嬉しいことなので、時間作りたいなと飛ばしてたら、今週は3つポチッと送信。

 

尊い命を授かったたくさんの子らが、のびのび育つことが出来る社会でありますようにと願わずにはいられません。Baby(まだ名前はこれから)が、15歳になるころ、自分の良さをのびのびと発揮できて、彼女の学校では生徒の意見が学校に届くような、自主的に参画dけいるコミュニティならいい。授業では友達とわいわい話しあい、答えのない問いを考える環境があればいい。入試もたった1回きりでなく、男性も女性も、何度でもやり直せる人生の過ごし方ができればいい。

 

私たちの世代は、たまたま昭和の後半に、外からもらったようなデモクラシー(真似事だったとしても)がとても普通だと感じて育ってきた。しかし、仕事を得て、職業を得て、まだまだ自由意思で動けた時代は、錯覚だったのではないかと思うほど、「達成ゴール」と「評価シート」のはざまでトップダウンの降り注ぐピラミッドに組み入れられつつありはしないか。人々が生気を失い、意見を述べることも忘れて、大人しくなっていく様子はまるで旧坂をころげおちるようなのだ。

 

次の世代にどんな生きがいのある社会を残せるのかということを、改めて感じる機会になった。退職前の最後の10年や、その後の再就職という世代が、地位の脆さゆえにただ保身に走るということでは、この世の中から、自分の頭で考えより良い方向を考える社会ではなくなってしまうということを、私たちは肝に命じなくではならない。

 

初孫の誕生というのは、とにかく「可愛いよ」と聞いていた。確かにそうなのだけれど、新しい命の強さと尊さ。だれもが、どんな集団もが、その一人ひとりの自由意思を理不尽に妨げてはならないと思う。まして、人を育てる教育の世界はとりわけそうであると思う。