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Ph.D.博士授与の日-京大キャンパスライフ

I attended PhD commencement ceremony 2018 held at University of Kyoto.

Title: Early Adolescent learners’ noticing of language structures through the accumulation of formulaic sequences: Focusing on increasing the procedural knowledge of verb phrases, pp.1-403. (Ph.D. thesis)

題目:思春期前期学習者のFormulaic Sequences の蓄積をとおした英語の文構造への気づきー動詞フレーズへの手続き的知識の進捗に焦点をあててー

As a result, I came to be able to see early adolescent learners, ages 11,12, 13, and 14, from the perspective of second language acquisition, and to question those things that I would never have questioned if I had focused only on young ages. This came about, I believe, not because of my desire to master a certain way but, rather, because I have been able to continue doing what interests me most and, consequently, to broaden my world view through studying the classroom practice in the EU and Asian countries that is closest in most respects to those ages’ learning mechanism. Now, having earned this doctorate, I will begin my further studies in my specialty fields. However, it is a small area of specialty, yet, I will be able to find a gateway to a wider world. I hope that many of Japanese practitioners can learn from the examples of those precedent students in their class. Please begin with a small step and go on to the future.
京都大学での学位授与式に出席しました。無事帰国して、ギブスもとれてなんとか、間に合いました。壇上の山極京大総長は、霊長類学者で、ずっとゴリラを観察し続けて、Ph.D.を取得されたようです。 わたしはゴリラではなくて、子供たち(思春期の生徒)でした。研究したいからというより、彼らが好きだし面白いからだったと思います。

最初に博士論文を書こうと思ったのは、6年生の担任のときです。10年以上前になります、途中で断念していた時期もありました。11歳、12歳、13歳、14歳、は、第2言語の学び方が劇的に変わっていきます。その年齢の第二言語習得について、足元を掘ってばかりいるうちに、海外の同じ年齢の研究に行きつきました。
奈良教育大学の船城道雄教授が最初に薦めてくださり、一つ目の博士課程では、兵庫教育大学の故山岡俊比古教授に教わりました。その時は完成できず、4年前に、日本では少ないと言われるUBMの研究者でもある中森誉之先生の著書に出合い、二つ目の博士課程、京大で再開しました。90分間、題目について英語で鉛筆で論述し続けるという入試に加えて、研究してきた内容の英語でのプレゼンを6名の教授の前でするというものでした。博士は取った方が良いと言ってくれる人、いつ取れるの?と会うたびに聞いてくれる人もいました。しかし、壁は高くなるばかりでした。以前からの日本の学会誌(A)査読論文の質が認められた上で、海外ジャーナル査読が3本、海外学会発表は毎年、となり、絶対無理だなと思いました。でも、この壁は、フィンランドの大学の方がさらに高いことを在外中に知りましたが、皆さん超えていかれます。
今、一つの、ゴールが終わったのですが、小さなゴールなので、また、ここから始まりかなと思います。日本の先生、実践者の方や、大学の研究者の方も、皆さんの目の前にいるクラスルームや講義で、生徒との間で起こる毎日の現象が、実は他の人がまだ解明していないことだったりします。小さなステップから始めてみませんか?

わたしは、8歳、9歳の子供たちからはじめて、SLA第2言語習得理論とUsage-based Model (用法言語基盤モデル)に出合ったのはスペイン滞在中の最後でした(2001)。R,Schmidt(1995)とM.Tomasello(2003)を読んだとき、これ、私自身のL3経験だと、恐れ多くも共感したのが始まりです。Focus on Form(Ⅰ995-2000頃)にはスペインの大学での英語講義で.自分が生徒として出会いました。この方法、すとんとくる、と感激しました。「え?どうして日本ではこういう方法で、英語を教えてくれなかったんだろう?」と不思議に思いました。帰国後、M1奈良教育大学の図書館でしたが、SLAが並ぶ本棚の端から端までの洋書を読んで、今まで何が行われてきたか、大学ノートにまとめたことが今も基礎になっています。そして、まだ出来ていないことが多いことに、素人ながら驚きました。それだけ読んで分かったことは、自分の質問には「答えがない」ということでした。特に、目の前にいる12歳のことを扱った実験研究も極めて少なく、なぜ、これで、小学校英語が始まるのか・・・謎すぎました。修士では答えまで行かなかったので、続けることにしました。そのあとが長かったです。指導主事時代は研究どころでなく、大学異動後は学会運営諸々、しかし、言い訳無用です。

研究では何が分かったかというと、小さなことです。思春期前期の日本の生徒がEFLで英語のインプットや内容のある英語の授業に、出会ったとき、どのように「語の繋がり=フレーズ」や文を理解して獲得しようとするのか、動詞とその前後を中心に見ていきました。(ここでは、日本語による英語の説明と規則から入る授業は対象外です)。当時、まだ名詞のカードしかなかったので、動詞フレーズは、日本や米国の研究者と、基本動詞50と言語学のコアイメージを収集して、自分の描画をもとにプロとFlashアニメーションを作りました。動詞習得は実は絵カードではだめです。これを使ってストーリーの中での獲得途中の様子を見ていきました。研究では、この年齢の学びを、「事例から規則へ」(instance to rule)と呼びます。その逆の、規則から事例にいく場合を rule to instanceと言いますが、この二つでは、生徒の学びにどのような違いがおこるかということを、実証しました。前者には、手続き的な学びが大きいと理論的には考えられていますが、では、結果としてどのような違いがでるのでしょうか。―――(中略)―――、研究している私が最も驚いたのは、Instance、つまり動詞フレーズの事例を内容のある授業で、たくさん蓄積して慣れ親しんできた生徒では、「産出」をしたくなったとき、質的にも量的にも圧倒的に違うということでした。予想では、「聞く:受容」だけかなと思っていました。また、聞いて理解する力も、クラスの蓋こぶラクダは、確実に右に動いてなくなります(ヤマは残りますが)。なんだ、それは、目の前の生徒を見てたら、そうだよ・・という方は多いかもしれないと思います。そうだよと、言う方は是非その指導法を本で出してください。それは大切です。では、そのプロセスを、指導法にすれば、どう説明しますか?と聞いたら、すぐに答える人もいれば、自然にそう教えているかなあ、という人もいると思います。―――略―――また、Usage-based Modelでは、互いにジョイントするような場面で学びを起きるようにしないと学びが少ないです。また生徒が興味を持つ内容が扱われないとだめで、前のめりで感動したり思考したりする内容がなければ、言葉も同じく認知的な思考にはならず、言語習得も起きにくいのです。(練習すれば完璧?→これは、この年齢には通じません。)。認知が伴わない繰り返しは、ただの「模倣」になってしまいます(最初は模倣でいいのです)。単なる模倣と、認知思考の伴う模倣の違いは、教師には見えにくいから難しいです。データで検証するときにも、普通の方法では、「おなじ」に見えてしまうんですね。そこが研究の手続き方法での難関です。

新学習指導要領にむけて作られた教材でも、その視点でみると、「あ、ここ、内容もなければ、思考もない。文構造もはずれている。」というものが、どうしてもでます。子供が学びたいことは、ずれでもいいんですが、いつもずれていると、進みません。また教材は上手く作られていても、教える時に肉がなくなることもあります。難しいです。だから、世界中の英語教育やL3教育で、テキストは上手く使われず、そのままだと、11歳~14歳は退屈します。教師はどうすればよいか分からないので、中学校の英語は教えにくいと、高等教育にいく方もいます。中学校でも、中3ならいいけど、中1は難しいと言う方もいます。いえ、そうではなくて、だから、おもしろい、最高におもしろい時期なのです。その結果、世界中で、12歳、13歳、14歳は、小学校から中学校へと学校の場所まで変わるので、連続して学ぶことは皆無となり、研究者がそこで実践しデータを検証することも極めて難しくなります。生徒は13歳で制服を着て、一見中学生に見えますが、まだまだ、思春期入口なのに、大人に教えるような方法では上手く行かないし、勿体ないです。
6年生.中1 はまだまだ伸びやかに出来る良さがありながら、もはや子供ではないところが、凄いのです。

博論に10年もかかりましたが、10年間、ずっとこの年齢の、動詞獲得や文構造獲得の先行研究は集めてきましたが、残念ながら、先行データがちっとも増えません。10年もかかっていると、研究が抜かされて当然なのですが、この分野に入ってきてくれる方が少ないです。Larsen-Freeman氏やMyles氏が小中分野やクラスルーム研究の不足を指摘していますが、それでも、増えません。フィンランドのような国でも実践と研究は乖離していますが、日本はもっとです。それで、小学校英語、小中連携と、なぜ、叫ぶことが出来るのか、未だに謎です。「ではどうやって?」に、もっと多くの方が興味を持って下さればと思います。「ではどうやって」が解明できていないのに、なぜどんどん早期開始なのか、本当に謎です。だから小学校英語に反対なんだ・・・と叫ぶのも簡単で良いですが、それも違うと思います。中学生の学ぶメカニズムも明らかとは言えません。また、上手く行けば、この年齢は面白いのです。小学校高学年と中学校入門期の生徒の学びの深さに目を向けていただけたらと思っています。

次は何をしたいかというと、UBMのInstance to ruleでは、楽しい活動を通してInstance(事例)を溜めて、レディネスができた生徒たちであれば、明示的に図式的にスキーマ形成を活性化して文法を教えるタイミングと方法が必要です。文法は教えるのですが従来の方法ではありません。そして、その後も、instance to ruleを辞めずに続けるdual mode方法もです。UBMは初級学習者だけの話ではありません。高校生に近づいたからと、そこでやめてしまったら残念です。EFL学習者は、海外にでてからも大事です。

「内容と深さ」を追いかけているうちにCLILに出合いましたが、CLILは博論では間に合わず、扱いませんでした。CLILの良さはそういうものがすべて枠組みに入っていますので、そのような良いCLILを届けていきたいと思います。フィンランドは、さすがに、国民総じて研究が好きな国でしたので、わたしの研究結果の主張も発表させていただきましたが、至極、自然に頷いてられました。先生方にもインタビューが出来て、実際の指導の場面を耳で捉えることもできました。結果を皆さんに分かってもらったり、実践に繋ぐための研究を始めたいと思います。生徒が今までと違うことが見えたら、それは教師としての遣り甲斐となると思います。

久しぶりの一つ紋と袴を着ました。前回は初めての6年生担任卒業式で来ました。まだ教員に合格もしてないのに、30年ぶりです。長くかかったので、この一日は、授与式を楽しむことにしました。数えられないほどの方にご指導をいただき、協力をしていただきました。故山岡先生にご報告できなかったことだけが残念です。第8章で結論として兵庫教育大学で提出を検討するときに、いつも赤いコメントでいっぱいになる草稿を修正して持参しましたが、「まだだね。」とおっしゃっていただきました。あの時のままだと今の私はないと思います。その言葉のおかげで、色々ありましたが、その後の第12章までの間に、引用文献に出てくる海外の研究者に直接お会いできるような機会にもなりました。山岡先生は何もかもご存じであったかも知れません。

京都大学人間・環境学(外国語教育講座)においては、中森研では、今年、ブレイク君という若者と私の二人が学位授与となりました。皆でお祝いをしてもらいました。ブレイク君の学位はtranslanguageです。続いて5月には同時通訳分野で博士を取られる方がでます。10年以上博士を出していなかったそうなのですが、理由をお聞きすると、理系と違って、教育分野はストレートだとフィールドがなく、京大はストレートが多いため、博士授与に至らなかったとのことでした。教育分野においては、何らかの社会人経験が研究と合さって生きるのだと思います。

 

 

昨日の新聞では研究倫理のニュース、今日のニュースでは、大学ランキング日本ではNo.1となっていました。山中伸弥氏に続いて、ノーベル賞を授与された研究者が出た2018年度のようです。しかし、それは、大学教員2600人、学部1万3000人、修士5000人、博士3600人(うち留学生20%)から生まれる1~2ケースであり、非常勤教員も多いです。研究者の卵の文型と理系の融合(文理融合)が総長からも学部長からもご挨拶にありましたが、京大といえども、いえ、京大だからこそ、専門を超えた連携は難関であるように感じます。専任の教員にはあらゆるプレッシャーと仕事量がかかっています。壁は高いから、どの方の挨拶でも「融合」が繰り返されるのだと思います。博士の数年間は、日本の多くの大学で、まだまだ孤独との闘いだと聞きます。教授方も激しい競争にさらされ、研究者は専任が増えず研究費獲得も激しいです。その中で、学部ー大学院ー博士の全ての指導は大変難しいであろうと想像に難くありません。

 

ー印象深かった講義

私の場合は水曜日と金曜日の一部を、大学院の講義登録し、若い京大生に交じって学ぶことが出来たことは貴重でした。学生の集中力が高く素晴らしい講義を受講させてもらいました。「言語学」「統計」「ICTと英語」の授業、ESPの英語授業(CLILのような英語講義が、全入学生必須になっています。例えば、物理専攻の学生なら、物理を英語で受講する等、100ほどのプログラムがあります。)

 

私はNativeのカナダ人農学博士の、「Food グローバリゼーション」を受けました。Pandaによる反転授業、ICT、専門資料購読有、グループプレゼン)。コロンブスが引き起こした中世期のFoodのグローバル化は最高に面白いものでした。農学博士の口から出る講義内容のオーセンティシティには、圧倒されました。私は最後のプレゼンは、「シナモンのグローバル化」を選び、プランテーション農業について、英語プレゼンをしました。農学の専門書まで買わないと出来ないレベルでした。なぜなら、相当に厳しい「ルーブリック」が途中で示されたからです。京大生とのグループプレゼンは、意外と、イニシアチブをとる学生と、ついていきたい学生に分かれましたが、だんだん内容にのめりこんでいっていました。毎回大量の勉強量が発生しましたので仕事と両立が大変でした。京大生は理系も英語の基礎はあるので読む方は得意です。彼らも家で課題の英語Videoを再生し、その英語を理解してないとクイズは解けず、QRコードでクイズを解かないと出席点数にはならないので、必死でついていっていました。次回の講義で5問全問正解かどうか、リストが出ますーーーこういった点は京大生は競争に馴れているというか、絶対満点を取りたいという宿命があるようでした(笑)。この指導を受けていると、TOEFL対策の授業よりも、結果的にTOEFLは楽になるだろうと、非常に思いました。大学あげての英語関連科目の改革でこの講義が一斉に用意され始まったようです。英語によるグループ協働に馴れてない様子でしたが、よく頑張っていました。この授業などは、フィンランドの大学院講義に引けをとらないものでした。京大におけるESPとCLILは彼らの専門性が高いので非常に効果が高く意義深いものでした。

 

「英語教育学と統計」の授業ではRの統計をその場でインストールし、半年で必要な手法を全員が学びました。担当准教授の類まれな指導力の賜物でした。これは貴重でした。「ICTと英語教育」も、CALLの文献を次々読み、グループで選んだソフトでプレゼンをする流れでした。KahootやQuzlet等は使ったことがない院生が多かったので、院生たちがICTを使いこなしながら、英語のプレゼンに馴れていく様子が素晴らしかったです。教授には副指導をしていただきました。こちらも、今回は二つ目の博士課程ですから、絶対通る意気込みなので、副指導になっていただくかも知れない今日中の講義は、全て受けるようにし著書も必ず拝読することにしていました。ただし、講義をさぼっている様では、マイナスにしかならないので、背水の陣で受けた次第です。

 

言語学の講義では、全ての内容がその教授の英語著書によるもので、毎回、「やはりこの方向で良い」と最新バージョンで確認できました。京大の場合は院生がついてきているかどうか、気にすることなく、最高レベルの学生に合わせて進むので深いところまで到達出来ると思いました。「言語習得」関連の講義は、インターアクションが活発で、協働学習の雰囲気が柔らかい中、インパクトファイターの高い言語教育のジャーナルを次々読んでいき、全員が一つのArticleを選んでプレゼンし議論をするので活気がありました。海外ジャーナルとはなんぞや?と思っている院生の視野が広がりました。また、皆で読むと、IFの高いジャーナルでも、「率なく」まとめているから採択された論文と、これは凄い、一流だなと思う論文が、混じっており、「あれ、この程度なら私も書けるかな」と話したり、「いや、こんなのは無理」と、いずれ自分が超えないといけない壁が良く見えた次第です。博士の講義でしたが、やる気のある学部生が登録にきていて、頑張っていました。「世界に出ていきなさい」というメッセージがこもっていたと思います。R.Ellisが共著論文の場合は、同一研究者の中で両方タイプあり、「へえ」という感想でもありました。論文は質も数も大事という結論になった次第でした。私は確かUBMのN.Ellisの最新論文を発表し、手持ちのトピックデータを一部紹介しました。留学生は英語で発表する人も多く、どちらの言語でもどうぞとなっていました。この講義の一つの良さは、ともすると、ばらばらに孤独に研究している院生どおしの距離が縮まったことです。それも目的に入れて下さったのだと感じました。他にも、TVや新聞、ベストセラー著書で有名な名物研究者の講義も目白押しでしたので、出席したかったのですが、時間がないのと、登録すると、もれなく宿題が山盛りになるので、限界がありました。せめて4年目は片っ端から受けようと思いましたが、フィンランド在外研究と重なりました。講義の質的レベルはさすがに高かったと言えます。兵教時代は教育関係の講義が多かったのと一番忙しい時でしたのでゼミの時だけ通っていました。今回は、京都で近いこともあり総合大学の博士課程の面白さを感じました。また吉田キャンパス界隈の京都らしさに惹かれて足がキャンパスに向くということもありました。受講はオープンなものが多く、自由な風土の京大というイメージは、その通りでした。図書館では最新の海外ジャーナルが引き出せます。

*今後、受験してみたい方への連絡ー講義は全て必修ではないです。遠方からも通っているので、担当教授との一対一で大丈夫です。私が京大生の英語協働学習を体験的に観察したかったのと、趣味で受講しただけです。ご指導の先生に負担にならないように、相談してから、登録か聴講かを選び、受講していました。

 

ー日本の博士課程の課題

EUの国では博士指導の教授が、学部の講義も持つということはありません。日本の多くの博士課程にいる院生らの潜在力を伸ばすようなオープンな研究状況や、必ずしも国際レベルのアカデミックレベルに出ていける環境にはなっていないと思います。日本の大学も今の状況では世界に出ていくための基盤が脆いわけです。そういった異専門連携やプロジェクトとは程遠いため、リーディングプログラムを組んで、大学を上げた取り組みは始まっている様です。アジアからの留学生の割合も高く、彼らの多くは母国に帰って活躍をするわけですが、日本の現職や社会人が、博士で研究できるような状況も難しくなっています。フィンランドでは小学校から博士課程がすべて無料であり、院生らは夏のアルバイトはするものの、学費への不安が無しです(今から少し有料になるようですが)。ユバスキュラ大学で一緒に博士研究室で過ごした各国からの院生が、母国の奨学金と、フィンランド・アカデミーから出る研究費を獲得し、「研究」だけに5年、6年と没頭している姿は、わたしには正直に眩しいものでした。プロジェクト専門のコーディネーターの数も専任教員数に負けずといます。そのようなプロジェクトでは、ヨーロッパ全域、米国、アジアからと、研究分野を同じくする、著名が研究者がプレゼンや協働で、ひっきりなしに招聘されています。この研究会に誰でも参加でき議論できることが、博士院生の研究レベルを高いところまで引き上げます。(日本では、これをすると大学教員は、予算から書類まで時間が相当かかる上、規定が厳しく持ち出しのほうが上回りますので年1回でも必死になってしまいます。)プロジェクトの実質的手続きはコーディネーターがいます。大学教員がプロジェクトの牽引のみならず、事務処理までやるという環境はフィンランドにはないです。私には「研究」だけに没頭できた時間は無かったです。でもフィンランド在外研究ででやっと半年間、そのような時間が取れました。あのような環境であれば、日本人は、もっと学び研究し、社会を変革したいと思う院生が続出するであろうと思います。私もそうですが、日本の博士研究者の多くは、学費は自分が仕事をして賄っています。博士在学中に科研を取れるケースも多くないです。10年かかったとはいえ、90%は本務の仕事をしていたわけですので、世界の研究レベルに比べると、足元にも及ばないという焦燥はやはりあります。日本の将来を担う学生・院生が志を高く、安心して学べる環境を願ってやみません。

 

最後に、パソコンもって、一番行ったり来たりした場所で写真を撮りました。時計台の左横にあるフランス料理の学内レストランがとってもお洒落です。