フィンランドの博士Defence

 

Experience guiding decision-making for startup entrepreneurs

 

学位審査の様子を見学しました。年間、様々な学部で何回も開かれていますが、日本とは異なる点がたくさんあります。まず、博士デフェンスがあることは、ホームページの1ページをしっかり使って全ての人が閲覧し、要旨や、それに至る国際誌などの採択論文もリンクされています。公開性は高いと思います。(日本でも学内で連絡はありますが、1ページも使って内容を披露は無いです)。

 

フィンランドの大学の学位のシステムを簡単に説明します。大学入学年齢は一般に18歳ですが,入試の成績や男子は兵役のため,遅れることも少なくありません。人口 520 万人に対して,大学数は 20, 進学率はおよそ30%。学部教育は単位制で,各自が必要な単位をとった時点で Master の学位を与えられます。
 博士には、標準的な修学期間はなく,理論的には3年でも可能ですが,平均的には6年だそうです。さらに,何の学位もとらずに大学を離れる場合も少なくありません。修了時期も個人次第です。 Master 終了後も勉学を続ける場合は,学生であると同時に,大学の予算,あるいは教授が獲得した研究費などによって,大学の名簿に名前が載る研究員として雇用されて,研究・教育活動に従事します。当然,既婚、家族同伴で学修も少なくありません。講座のカフェでは、母国の家族とFace Timeしながら執筆を頑張っている年末の光景もあります。6年間ぐらいの間の研究成果,いわゆる査読付論文をもとに学位論文を執筆します。知っている範囲では単著5, 6編以上のようです。基準の高い国際誌の単著が必ず1本必要なようです。これは日本でいう、教授陣で投稿してもなかなか通らない国際誌だと言えます。英語で言えばApplied linguisticsModern Language Journalなどです。日本でもこれは同じですが、必要な国際誌の基準がだいぶ違うと感じます。ここでも所要期間は個人によって大きく異なります。既に出版している論文をもとにして100~200ページ程度のまとまった本の形にするようになっています。私の日本の所属課程では、博士論文を読むためには、限られた空間の密室で、手袋をはめて、鉛筆を一切持たずにその場で読むしかないというシステムですが、ここでは、大学図書館に並んでいるので、手に取って自由に読むことができます。なお,学位論文は ISBN 番号がついた各大学の出版物であり,国内外の図書館に送付されます。(日本でも2年後には国立国会図書館等で閲覧はできます。)
研究指導をしている教授を含む 2名の supervisors は,これで十分と判断した段階で,学生には学位論文執筆の許可を出し,同時に,論文の内容審査を行う2名の reviewers と最終的な口頭試験を行う opponent を指名します。いずれも一緒に研究等の活動をしていない学外の専門家であることが条件です。通常 Ph.D. (Doctor of Philosophy) になります。
Ph.D.
最終口頭試験です。彼らはこれを Ph.D. Defenceと呼びます。試験を受ける本人が candidate で,candidate が完成させた学位論文を opponent が攻撃し,candidate はそれを防御するわけです。試験は,ヨーロッパの大学に良くある,劇場のように斜面の急な階段教室を使い公開で行われます。

 ここで特徴的なのは,candidate, opponent, および Defence の司会・仲裁役たる custodian の3名は正装です。(つい最近まで燕尾服着用とも聞きました)。この日はシルクハットを持って入場されていました。

 

さて,実際の試験は,13時から始まりました。

 

聴衆は通常,同じ学科の教職員や学生,candidate の親兄弟,友人が中心ですが,要は誰でも自由な服装で参加できます。クリスマス休暇時期にさしかかっていたので、聴衆総数は20名弱と通常よりは少なかったようです。お昼にクリスマスコンサートと、セレモニーがあったので、大学の要職のおひとりは、サンタさんの格好でステージで歌を披露していましたが、衣装を白い袋につめて、このDefenceに駆けつけていました。
聴衆がすべて着席している中, custodian
試験の開始を宣言するの一言で custodianopponent は着席し,candidate はそのまま聴衆に対して自分の学位論文の内容を20分間でプロジェクターを使って説明します。という予定だと聞いたのですが、凄く長い前置きがあって驚きました。フィンランド語なのでしっかり理解できませんが。どうも、本博士学位に関して、大学が社会に貢献する「起業家」を育てる協定を、朗読しておられ、続いてこれについて議論が前の3名で始まりました。聴衆は聞くだけです。 やっとプレゼンの時間がきました。これは presentation と言われ,非専門家も念頭においたもので,フィンランド語でなされます。(もし,opponent がフィンランド人の場合は,すべての Defence 過程はフィンランド語でなされますが,自然科学の場合は,海外から opponent を招聘することも多く,その場合,presentation 以外は,英語を使います。)。私のいる言語研究所の場合は全てが英語です。presentation 終了後,直ちに opponentが立ちあがり,3-5 分で,該当学問分野におけるこの学位論文の位置付けや価値を説明します。これを statement と言います。ここに至って,candidateopponent も着席し,いよいよ試験の中心たる質疑応答が始まります。
そこの学生・教職員や,今回は特に,海外からの聴衆の前で,opponentは、バランスのとれた質問を準備して,ほどよい時間内に,適度に candidate を痛い目に会わせるという印象です。Defence における opponent の一番重要な務めは,学位論文自体の審査のみならず,candidate
確かに Ph.D. にふさわしい考え方や知識を身に付けていることを聴衆に示すことです。口頭試験とは言え,学位論文の内容に関して,重箱の隅をつつくような質問を続けることは,(opponent として)評価されないようです。つまり、Candidateだけでなく、opponentには専門知識が非常に必要です。日本では、このあたり、重箱の隅をつつく質問が多いと言われていましたが、今はそれはさすがに減りましたが、いかにも専門分野を知らないままの質問をしている光景はあります。こうなると議論は深まらないので、注意したいものです。

 

フィンランドでは専門がやや遠いopponentを入れる場合もあるのですが、そういう場合も論旨の展開については、プロの視野からのコメントが必要になります。

 

特に,最初の質問が大切で,『~~とは何か』で質問(哲学的)を始める opponent もいるそうです。このように予想も準備も出来ない,広く大きな質問に candidate が困惑し呆然とする姿や,緊張で間違った答弁をすることを聴衆,特に友人達は(少し)期待しているそうです。逆に,candidate はこれをうまくこなすことで自分の力量を示すことが出来ます。次第に一般的な質問から具体的な学位論文の内容に移って行きます。解答には後の黒板も使います。今回はこれにおよそ1時間半費やしました。(大学の規則によれば,4時間以上は続 けてよいそうです。)
こうして,もう十分と言うところで,opponent が立ち上がり,それを見て candidate も起立し,opponentfinal statement を聞きます。それは,
私は candidate が学位論文を成功裏に defend したことを認め,したがって,彼に Ph.D. の学位を授与することを Faculty に進言する。と言う内容を含む短いものです。この後,candidateopponent に感謝の言葉を述べ,続いて聴衆の方に向き直って,希望する方はここに下りて来て質問して下さいと言います。しかし,通常,だれもしないそうです。ここに至って,二人にはさまれて黙って座っていた custodian も起立し,defence がすべて終了したことを宣言します。

 

この後は,会場の外で,出席者全員に対して (candidate の負担か、研究科の予算?) コーヒーとケーキが振舞われます。くつろいだ雰囲気で談笑をします。Defence が終わり,一同消え去った後,opponent の筆者と custodian を務めた supervisor である教授には彼の部屋へ移動して,試験結果のまとめの作業があり成績をつけるようです。

 

英国の場合は,最初から最後まで何の審査も関門もなく,発表・論文数の基準もなく,学位論文の口頭試験だけの一発真剣勝負といったことも聞いたこともあります。米国では外部の者が学位の審査に加わることはないとも聞きます。北欧は概ねフィンランドに似ているようです。公開性は強いと感じます。candidate にとって(結婚式に次いで)人生で2番目に大切な日の仕切り役を務める機会だそうです。ノーベル賞授賞式などもこういった背景と関係があるのかもしれません。

 

 今回のDefenceはフィランド語だったので、プレゼンはgoogle翻訳がありますが、質疑は残念ながら拾うことができませんでした。また、議論が予想外に短かったのです。言語研究所の諸先輩に聞くとここでは、この議論は相当深く(厳しく)面白いものだそうです。2月には、英語教育や言語学のDefenceが予定されていいるので、楽しみです。詳しくは続編でとします。