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パリ市民とデモ

12月1日 Champs-Élysées デモとパリ市民たち
Just a night before the Christmas Advent, “Yellow Best” manifestation was executed at the back of the Gate (Arch of triumph),where cars were set alight to protest President Macron and it turned violent yesterday. In this morning, I visited there after checking the safety of the situation. On TV, I found that the burnt cars and scribbled letters had been taken away so quickly. I think it was completed by the municipal officers working over the nigh...t. According to the News, it was as if there were a war in such a developed country, but, in reality, it was not. It was not a violence, nor terrorism, but “manifestation”. I realized. Seeing
around there, I realized the manifestants (not casseurs)neatly avoided attacking the historical places. It was sure that the citizens were not targeted.The history of France has such movement many times to protect freedom of expressions which is recognized as a human right. In the meantime, the press as well as people has never criticized the act such as "being moderate" . It seems to protect the critical spirit.// To be continued in Japanese.(sorry).
"昨夜は、凱旋門まえの、「黄色のベスト」のデモ隊が、(あらかじめ限定した)車に火をつけ、マカロン大統領の政策への抗議をした。燃料費値上げもあるが、富裕層の優遇が、反感を買っている様子である。ニュースでは、まるで戦場のように見えたが、テロや暴力とは根本的に異なり、実際には、凱旋門の裏側のみに集中していて、シンボルである凱旋門や、市民の憩いの場のシャンゼリゼ通りを、傷つけていないことがよく分かる。ニュースでは便乗して混ざっている暴徒(Casseurs)がどうしても大写しになるが、主体はデモ参加者である(マニフェスタント)。もちろん市民は標的ではない。フェンス、カフェ、なども被害を受けていた。たくさんのパリ市民が、翌朝、凱旋門の無事を見届けるかのように、カメラを持って見に来ていた。家族連れもいれば、ランニング中に寄る人もいる。「言論の自由」を尊ぶフランスでは、このデモについて、やりすぎだという意見はあまりなく、批判をするという傾向は、ほぼない。新聞も買ってみたが、無い。フランス革命で勝ち得た人民の権利を大切に守っているのだ。自由に制限をもとめることは、絶対しないようである。命をかけて、表現の自由まもるため、批判的精神を重視しているのだろう。親子できた人は、なにやらデモについて息子に教えているようだった。夜通し仕事の警官たちをねぎらう人もいた。警察の車に、拍手をする人もいたし、警察にブーイングの人もいる。誰もが自分の立場を表現していいのだと分かる。ル・モンド紙の、デモ隊の人へのインタビューは、50歳の女性教師で、これもまた堂々と意見を述べ名前を出している。市民たちは、このことが大事だと思っている。破壊された店に保障が出るのかどうか知らないが、これも途方に暮れるというより、議論をしながら片づけている。そうこうしていると、政府の要人がやってきた。マクロン大統領はG2 Summitで南米Buenos Airesにいるはずだったから、代理だろう思う。あたりにきていた報道陣がカメラをもって、どやどやと追いかける。犠牲者がでたので、そこは残念だが、フランスにとって、デモは普通のことで、今年だけでも何回もあったようだ。Manifestants(デモの参加者)と、暴徒(Casseurs)は、区別が必要と考えられている。
真偽、善悪をさておき、このように、時の政権に対して、意見を表明し、デモをする権利があることが誇りなのだと感じる。マカロン大統領には、かなりのプレッシャーがかかると思うが、彼もまた、国鉄や公共事業の自由化をはかる政策をしているわけである。(パリに住んでいるわけではないので、間違っているかもしれない。)デモの翌朝、凱旋門の周りをずっと見て回ったわたしの印象である。やってきた市民が、この日は凱旋門に思いをもって記念写真をとっているのが、象徴的であった。凱旋門を今回ほどゆっくり見たことはなかったが、4つの象徴的なレリーフがついている。今回は、人民の権利のために戦っている女神と民が描かれているのを、しみじみと見上げた。女神は、民に、「闘え」と言うように先頭を切っている。パリに立ち寄ると、このあたりで必ず1度はカフェタイムをするのだが、今回は、窓に落書きされているのに、それでも開店していたカフェでコーヒーを注文してみた。
日本では、長期政権に対して、忖度という、不思議な言葉が横行しているが、私たちにせっかく与えられている自由を、自ら捨ててはならない。